家族の時間を記憶する家

STORIES No.005

家族の時間を記憶する家

子どもに
「家の思い出」を
遺したくて

家具とアートを大事にしようと思った。
夫婦と8歳の娘の3人がそれぞれに選んだ3つのチェアと、丸テーブル、それから、知人の作家に創作をお願いした鹿と森の絵織物だ。
リノベーションでSさんは、それらが映える空間──というより、生活の中にしっかりと組み込まれた住宅をつくろうと考えたのだ。
両者の違いを挙げるなら、魅せられたのが「モノ」なのか「モノを通したコト」なのかで、Sさんは後者である。
「高齢になってからの子どもなので、僕らが逝っても寂しくないよう思い出になる家具や絵を遺したかったんです」
 
Sさんのいう思い出とは、育った家であり、家族の時間だ。とりわけ、子どもが子どもである間。その時間は思ったより少ないと気づかされた。
「たまたま見たSNSに、“子どもに遊んでもらえるのもせいぜい10年”とあってハッとしたんです。遊んであげているつもりの親は、子どもが友達を優先する年頃になって初めて、実は逆だったことを知る、と」

パーケットフローリングの張り方はSさんのこだわり

受け継がれる家具、
守り神のようなアート

これがリノベの動機になった。
基本的にテレワークのSさんだが当時の賃貸は狭く窮屈で、朝に出たきりカフェを転々として仕事をこなし、子どもが寝てから帰宅する日々。休日しか子どもの顔をきちんと見ていなかった。妻にも、ゆっくり話ができないと言われる始末。
「このままでは後悔することになる。そう思って、仕事ができる環境を備えた家に住み替え、家族がいる家で多くの時間を過ごす生活に切り換えようと決心しました」

それまで家具に特別な関心はなかったが、子どもに譲ろうと思ったとき、代々受け継がれ使われ続ける名作家具に心惹かれた。

シンボリックな存在のアートも、伝え残すにふさわしい。妻の友人が絵織物の作家で、家族で個展を見に行った際、全員が魅せられた作品がある。木立の中に牡鹿がいる、深く静かな夜の森を思わせる絵だ。迷わずその作家にそのモチーフで制作を依頼して、「木の精霊を宿す、家族の守り神のような」作品を完成させてもらった。

妻が自分で選び、愛用しているドムスチェア

玄関に飾られた、知り合いの作家が描いてくれた妻と娘のアート。リビングには妻と娘が花壇のボランティアで摘んできた花

なんでも
「ゆるくこだわる」

それらのモノと思いを携え、Sさんはリノベ会社に「家具がわかる設計士をアテンドしてほしい」と伝えた。
確かなこだわりを持ちながら、それに縛られないのがSさんであり、この家の心地よさなのだ。
例えば家具は、一から十まで自分で選んだわけではない。目利きの設計士に候補を挙げてもらったり、オススメを採用したり、より可能性が広がる選び方をした。
また、チェアや照明など北欧家具が多いけれど統一するつもりはなく、イギリスや日本の古家具もある。「ゆるくこだわる」のが流儀なのだ。

家族も「ゆるくつながる」のがいい。
リノベーションで広くしたLDKでは、家族がそれぞれ好きな場所で過ごせる。
Sさんの仕事場である書斎は、絵を描くのが大好きな子どものアトリエも兼ねた。壁一面とデスクの背後の本棚には背板がなく、Sさんは仕事をする背中で家族を感じられる。
見て、見て、パパ、と、書斎の本棚越しに絵を見せに来る子どもの今の姿は、Sさんの胸に刻まれて、いつか思い出されるシーンになるだろう。

娘が選んだYチェア

遠くの時間を
見つめる目

時を超えて在り続けるもの。その価値をSさんが考えるようになったのは、会社の起業経験がきっかけだったという。
「数年の運営でしたが業績の好不調の波に揉まれ、持続的な成長や将来を見通す時間感覚を大事にするようになりました」

日頃からボーダーのシャツを着ているのもそんな時間感覚ゆえで、「ボーダーの似合うおじいちゃん」になりたくて今から着ているそうだ。
「長く着ていればボーダーの方が僕になじんでくるはずです(笑)」。
ブランドは創業1939年のORCIVAL。歴史あるものは服ひとつとっても付け焼き刃では身につかない。

家族もいつかファンになり、クロゼットにはボーダーの占める一角が

記憶をまとって
育つ家具

家族の歴史が刻まれる家。Sさんの願いはリノベーションを通してやっと形になったばかりだ。
これから何十年もかけて、何気ない日々の生活の中で、家にあるさまざまなモノが家族の思い出をまとっていく。
これはお父さんの椅子。これはお母さん。ここでこんな話をした。こんなものを食べた。そんな記憶が、子どもにとってモノを買い替えのきかない世界でひとつのモノにする。
だからSさんは、家に置く家具やアートにこだわった。

「自分のスタイルに合わない家、家族との時間を大事にしない生き方はもったいない。これから、この家にたくさんの思い出を刻んでいくつもりでいます」

SさんのチェアはFDBモブラーの「J80」

聞き手 : 今井 早智 Sachi Imai

住宅について、建築的なHOWよりも施主の暮らしのWHY に興味あり。空を飛べる鳥になりたいとは思わないが、海に 沈む深海魚には憧れる。

写真 : 上米良 未来 Miki Kanmera

撮る動機、その原点は、正真正銘キライだった同級生の悪ガキが見せたとびきりの笑顔=喜びの表情に衝撃を受けたこと。好きなものは、編みもの。猫。トマトの匂い。